2004.6.6

4月、息子が群馬県上野村の山奥に赴任した。どんな所なのか、その内に行ってみようと思っていた。
ところが、早くも彼は、7月には千葉県に転勤が内示された。このまま彼の初めての赴任地を見ないで
やり過ごしたくはない。そう言えば、6日に京都の娘とフジコヘミングのコンサートに行く事になっている。
5日中に京都に入ればいいじゃないか。こうして、私の無謀な旅が始まった。


オノボリさん編

翼よ、あれが富士山か 歓迎、どうもありがとさん
ヤマトだって 行けるかなあ 切符売り場で待たされた オシ、「あさま」だな
「とうきょう」です、はい これも「とうきょう」です へえ「長野新幹線」っつうのか 高崎東口到着
30分前に初めて手元に届いた「セリカ」を伴って
高崎駅に現れた息子は、実にカッコよかった。

もう、学生時代のようなナイーブさは陰を潜め、
しっかりと地面に足をつけて歩む若武者となり始めている。

松山から東京90分、モノレール22分、長野新幹線50分
トータル3時間と少し。これがここまでに要した時間だ。
計算通りと言えばそれまでだが、何処か半信半疑。。。

ここから上野村まで、昼を取って120分。
これも予想していたとは言え、穏やかな山道の連なりは
彼の過酷な生活環境を如実に表していた。
今年、彼以上に過酷な現場に赴任したものはいないとか。。

高崎を出て、私たちは一路上野村へ向かう。鬼石を過ぎると急激に民家の姿が少なくなって来た。
北関東を走るのは初めての事だが、三方を高い山に囲まれて袋小路に入り込んだ鼠のような閉塞感が息苦しさを誘った。
「上州おにし」駅でのスナップ。すでに山奥。 下久保ダム。息子の会社が作ったものらしい。
下久保ダムの上に広がる神流湖(カンナコ) これが上野村の目抜き通り?
このトンネルを抜けると飯場があると聞かされていた 神流発電所下部ダムというのが正式名称らしい
これが事務所・兼宿舎。いわゆる飯場か 企業がいかに自然や地元に気を使っているかを物語る

神流ダム編

「ハザマ」の文字がかすかに読み取れる。事務所入り口 下請けさんたちが集まる現場事務所、ここでラジオ体操がある
湖面はすでに最低水位を超えたと言っていた 真新しい出来立てほやほやの手摺りが眩しい
ダムから上流域を望む。もう、この規模のダムは作られないと彼は言う。

雑感

「自然を壊すダムはいらない」。近年、ダムの現場に風当たりが強い。
かく言う私も、「自然擁護派」を任じている人間のひとりのつもりだが、
息子がダム現場に赴任して、その思想は大きく揺らぎ始めた。

このダムがここに至るまでの計画から設計を聞いた。そして、来る日も来る日も
コンクリートを投入し続けた彼の先輩達の壮絶な足跡を見せてもらった。
この巨大プロジェクトの持つ意味を改めてよく考えてみなくてはならない。

ダムが東京都民に供給する電力と水は、東京都民の生活基盤になることは疑いない。
水や電力が足りている時にはそれを当然として享受しても、
いざ不足した時には、たいへんな社会問題になるだろう。

不要なダムはもちろんいらない。
言うのは簡単だが、時代の流れを読み取り、20年後の水と電力の必要量を測り、
設置可能な川を探す事は、神の力を持ってしても正解を作り出すのは難しい。

息子が、仕事に誇りと自信を持てている事にかすかな安心感をもって山を降りた。
ダムから下流域を望む。山々の連なりが美しい。 真下を見下ろすと目眩のする高さだ。ここが彼の仕事場。
ダムから出てすぐの曲がり道にあった。
日本地図では近いと聞いたがこれほどとは。。合掌
息子の修士論文になった、メガネトンネル。
実物を初めて見た。奇麗なものだ。
一路、高崎に戻る 9分で乗り換えはキツイ いかにも素通り 夕日に沈む横浜

京都・ショパン編

京都

日本の古都、京都は私が一番愛している街だ。
言葉も町並みも、頑ななまでに古い日本を変えようとしない。

近年、寺や神社やあまり見なくなった。
そんな名所旧跡より、ふらりとその辺を散歩して
タクシーの運転手さんに話し掛けた方が
よほど京都が楽しめる。

娘が川崎に移り住むまであと10ヶ月
あと何回、ここを訪れられるだろう。

私の中の京都は、
来年の4月から、また観光地に戻るのだろうか。
いまの京都駅の頑固な姿も馴染んできた
駅地下街にある「かんじん堂」わりと良かった 「葱トロ鮭マヨ」と「東寺揚」と「餃子」と今日○ハイ目のビール
何とかと言う珈琲店の中庭 道端の古きもの市、なかなかシャレてるねえ
500円出して展示会場にも足を運んでみた 観光客なんてひとりもいない。全部地元の人って感じ
アングルが悪いけれど、京都コンサートホール ここから徒歩3分
フジ子さんの体調が悪いとの掲示があって不安になる 本番前、静かな中に独特の緊張感が走る
コンサートを終えて、そそくさと京都駅の戻る。また松山までの長い旅が始まる。あっ、新幹線で帰るのは初めてだった。

後記

子供の住む町を訪れるのは、どんな観光地を訪れるよりも楽しい。
子供が見ている風景を自分の目で見ることは、その経験を共有しているような
充実した錯覚の世界に誘われているような気持ちにしてくれる。

下手くそな旅の記録写真だけれども、時間の経過と共にきっと思い出の伴侶になって
笑い話の一役を買ってくれるだろうと、野暮な期待を込めながら、それなりに整理してみた。

私は私なりに、様々な人生の経験を積んできたと思っていたが、
息子の、そして娘の人生の切れ端を垣間見た時、
そこには私の全く知らない生き様がものの見事に展開されているように思えるこの頃だ。

長くて短い人生の旅も、こうして複眼で見てみると新しい切り口が見えてくる。
そんな事を感じさせてくれる旅であった事に感謝しよう。