2005.3.20から3.23

下の娘が大学を卒業して京都を離れるので、これを機会に紀伊半島に足を伸ばしてみようと思い立った。
いつもの旅行店で慌ててホテルや船の手配をし、愛車ボロクラウンに乗ってあっという間に旅人になった。

旅の友はいつものさださんのCD5枚と、鈴さんから頂いた秘蔵のカセットテープ。


和歌山フェリーの乗り場から一路、潮岬を回り、那須大滝・熊野古道そして伊勢志摩から京都へ。
いつもの事ながら、全く無茶な行程だ。

命を削りながら、どうにか命は落とさずに無事松山に戻って時には、
自動車のメーターは1.300`を表示していた。




 一路、徳島から和歌山へフェリーが岸壁を離れる。四国を出る旅は今でもこの風景が多く繰り返される。だって、どの橋を通っても高いんだ。  和歌山から5時間走って、うす暗くなりかけた頃に潮の岬に到着した。寒いし暗いしで写真一枚写して退散した。海の色も見ずカモメの鳴き声も聞かずに初日が終わった。
       
 ホテルのフロントで写真を撮りたいのだがと言うと、即座に『橋杭岩』のあたりにはたくさんのカメラを持った人が集まっていますよ、と教えてくれた。眠い目を擦って出かけた。
 奇岩の間から昇る朝日は幻想的な気配を漂わせていた。 釣り舟が、朝日の中に溶け込んでいく様が美しかった。


樫野崎灯台裏の小道
朝食の後、潮岬の隣りにある紀伊大島に橋が掛かって車で行けると聞いたので、
天気も良いし、ここを二番目のターゲットと決めて車を動かした。
樫野崎灯台は水仙の咲き乱れる丘の上にひっそりとたたずみ
沖を通るタンカーは朝の光を浴びて白く輝き、
太平洋の荒波の打ち寄せる岸壁では釣り人が釣り糸を垂らす。

これぞ紀伊半島と感じるには十分すぎる時間を味わえた。
   
世界遺産  熊野古道
那智の大滝
       
今回の旅のメインイベントとして期待していた『熊野古道』。全く期待通りの素晴らしさだった。
那智の大滝・那智大社などを静かに結ぶ古道。平安時代から営々と続く時間の流れに
暫し、現代の喧騒を忘れる事が出来た。
若い女性が平安の女房の旅装束に身を包んで出没した時には、
あまりの偶然に歓喜したが、後で聞くところによると、
近くの神社で1時間1000円で着せてくれるとか。少々興ざめした。

日頃、碁石(墓石じゃないよ)の世話になっている身としては
那智黒の黒石はいい思い出になった。
歌にある『七里ガ浜』とはここのことなんだろうか 30年ぶりの合歓の里、相変わらず広い
伊勢志摩特有の入り組んだ地形、ぼんやり眺めていた。 伊勢神宮、本宮の入り口。気配が違う。
伊賀。芭蕉ゆかりの庵『蓑虫庵』。
     


 
後記
旅は終わった。旅の終わりはいつも寂しい。
あの旅の始まりのような昂揚感は消え去り、気だるい気配が漂う。
はじめて見たものの感動も時の流れと共に徐々に霞が掛かってくる。

デジカメ一眼レフを持っての初めての旅は、新しい可能性を開いた。
使いこなすのは至難だけれど、出合い頭ででも、とんでもない逸物が生まれることもある。
素人にはどんどん写せてどんどん消せるのは「ヘタな鉄砲・・」の気分かも知れない。

私は、旅に出るといつも日本の広さが気に掛かる。
紀伊半島がこの広さだと日本はこれくらいで。すると、地球の大きさは。。の広さなんだ。
そして、「地球ってなんて大きんだ」と感動して、ほっと安心をする。

400枚も写した写真から10数枚を選び出すのは辛い。
お気に入りのいいと思う写真も、前後の関係で没になったりする。
本当にいい写真が写せないからこんな間抜けな事を言っているのだろうと、ちょっと寂しい。

今回の最高のお気に入りは何と言っても『熊野古道』のわんしょっと。
写した瞬間に「行ける」と思った。大きく引き伸ばしてあの時の感動がよみがえった。
こんな経験はそう度々あるものではない。

これが写真というものなのだろう。
。。