2005.11.23


娘が京都にいた頃は娘のイベントに合わせてよく京都を訪れていた。
その娘が京都を離れて、もう京都には行かなくなるかと思ったけれど、
やっぱり紅葉の頃になると、京の都の紅葉が見たいと心が疼く。
いつか拝見した広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の微笑みをもう一度
ゆっくりと時間をかけて見てみたい。

こうして私はまた、旅人になった。今回のお供はクラウン。


東福寺

ここから見る風景が一番有名だとか。この人ごみに皮肉を込めてみた
大阪南港、朝6時 きっと有名なビルなんだろうなあ
南無阿弥陀仏 これが普通版
とまあ、ここまで東福寺界隈から八坂辺りをうろうろした。
神社と紅葉は本当に良く似合う。
こういう紅葉をカメラに納めるようになると、
他の葉っぱはどうも物足りない感じがする。

。、




広隆寺

太秦の映画村に隣接する広隆寺そのものは、ここ京都ではそれ程有名ではないと言ったら
関係者の方々からお叱りを受けるかもしれない。今回の訪問を前に、井上靖さんが監修した
「私の古寺巡礼」を少し読んでみた。広隆寺については矢内原伊作さんがペンを取っていた。

ただ確かなのは、この寺が創建以来、ながらく帰化人の豪族秦氏の
氏寺だったことであり、朝鮮との密接な関係を抜きにこの寺の成立を
考えることは出来ないということである。

この文章を発見して、何故か広隆寺の持つ不可解な違和感が胡散霧消した気持ちになった。
半跏思惟像の美しさは、この事とは何の関係もなく他に類を見ない美しさだと思うが、
この寺全体に漂うセコさは寂しく感じる。



はは、ちょっとお借りしてしまいしました。
こうして眺めると、これまたいいですなあ。
その昔、某京大生が抱きついたというのも
分かるような気がします(苦笑)

矢内原氏はこの微笑を、「人間に向かって微笑みかけているのではない。
からだの内部からあふれ出る精神に生命が微笑みとなっている。」と賞している。
私なんぞは「なるほど言い得ているなあ」と納得するばかりである。

哲学の道、夕焼け。そして、鴨川
瀬戸の海




ああ、もう終わってしまった。もっとゆっくりしたかったけれど、
観光地の人ごみに疲れて、そう長居は出来ない。なみりんのお誘いで
大原の天龍寺に足を伸ばしたけれど、どうにも車を止める場所がなくて、
さっと諦めて帰路に着いた。車の旅も難しいものだ。

愛器ニコンD70は少しずつその性能を発揮し始めているようだ。
もっと使い込んで美しい写真を残したいと切望している。

てつや