2019.6.10

9歳年下の甥の具合がよくないという。ならば、
これを北海道に渡る切っ掛けにするのはどうだろう。

お見舞いを兼ねて、急遽、北海道に渡ることにした。



円教寺(えんぎょうじ)

舞鶴のフェリーまでに少し時間がある。最近使い始めたスマホに姫路で新緑の美しいところはないかと尋ねたら、即座に「円教寺」と返事が来た。何事も初めが肝心、ならばこいつの言うことを聞いてみようと決めた。ロープーウエイで上って30分歩いて、とんでもない山奥に西の比叡山・延暦寺と称される天台宗の名刹、書写山・円教寺があった。

魔仁殿やらいう中央の寺院から見たお土産やさん。峠の茶屋っぽい。


30分歩く中にこんな洒落た仏さんがたくさん置かれている。初め必死で写したけど、すぐに飽きた。


奥まで歩くとこんな建物が出てきた。左から常行堂、食堂(じきどう)、大講堂というらしい。
坊さんの修行の場所のようだけれど、何もこんな山奥で修行しなくてもと思ってしまう。


帰り道にあった小さな木戸。すぐにも崩れ落ちそうだけれど坊さんの宿泊所跡らしい。ここが一番気に入った。




福知山市年緑化植物園


フェリーの時間まではどこかで過ごさなければならない。いつもはどんどん走ってしまうのに、
こうして走らない旅もいいもんだ。福知山で植物園によってみた。よく整備されていて気持ちよかった。


藤棚はよく見かけるけれど、いつも時期がずれていてうまくいかない。こんなにピッタリバッチリは珍しい。

舞鶴・そして21時間のフェリーで小樽へ


舞鶴市の真ん中の城跡が公園になっている。大きくないのでちょっと歩いてみた。
城跡はただの広場だったが、奥のこじんまりとした庭園跡の手入れが行き届いていて気持ちよかった。


朝食に半島の先端まで走ってみた。点在する漁村ものんびりしていたが、
道の横に車を置いて釣り糸を垂らすたくさんの釣り人ものんびり感満載だ。


フェリーの乗船まで一日ある。どこかのんびり出来るところはないかとうろうろしていたら、
地元民以外お断りの看板がある何にもない海岸に出た。地元民のふりをしてゆっくりした。


23時半発の船に17時についた。もう何台も車が待っている。いよいよ北海道か。感慨ひとしおだ。


21時間揺られた。足首が痛くなって歩くのも辛くなった。それでも日本海に沈む夕日や雪に覆われた
積丹半島を夢中で写した。この頃から腹が痛くなり薬も飲んだ。持っていった水が傷んでいたようだ。




甥の葬儀
  
私がフェリーの中でもがいている頃に57歳になる甥は辛い闘病の末に
 人生を終えた。見舞いに行く予定は、そのまま葬儀に参列する事となった。
 幼い頃には一緒に遊んだりもした心優しい甥の写真を見ながら、
そろそろ自分の行く末も決めておかなくてはならない頃かと思った。




稚内へ



若い頃、八年間をこの稚内で暮らした。私の生きた足跡は全く消滅していたけれど、
このサハリン行きの船が行き交った防波堤ドームや稚内公園・最北端の碑などは、
今も変わらず北の町の風情に溶け込んでいた。懐かしい時間を過ごした。


ピッカピカの稚内駅


稚内公園からの最北の地


遠くに樺太(サハリン)が見える

宗谷岬の最北端の碑





オホーツクの海へ


稚内から根室までのオホーツク海岸は初めての道。どんな田舎なのか、どんな景色なのか。
本州の田舎を走っていて日本という国は美しいと感じる。今回このオホーツク海沿いを走って
日本という国を越えた地球という星の美しさを見たような気がする。オホーツク海に沈む夕日。




知床半島


知床という言葉は何度となく使ってきたが、本物に行くのは全くの初めてだ。
5月の上旬に知床岳の白い雪と桜が歓迎してくれた。これ以上にない始まりだ。


実は知床峠は午後3時30分までに通過しないと閉鎖されるとあちこちに書いてあった。
だらだらと走って4時前に着いた。やっぱり通してくれないのだ、がっかりした、いや予定通りかな?


何となく奥に入っていくとこんな案内が目に入った。知床5湖は明日に回し一晩山奥の岩尾別温泉で
神秘の湯を堪能した。これまでにもいろんな湯を体験しているが、記憶に残る不思議な時間だった。
後ろに突き立つ羅臼岳が壮観だ。


知床五湖から見る知床連山。五個の湖を2時間掛けて歩いた。春まだ早い北の湖を「熊が出たら
走らずにあとづさりしながら戻ってください。」と教えられて入った。不思議な緊張感と隣りあわせだ。


うおお、熊が出たか!いや、鹿か!そんな冗談も悪くはないか。


2時間歩いているうちに、札幌出身で現在ドバイに勤務しているという若者と言葉を交わした。旅では
互いのカメラで写真を写して親しくなるの言うのはありそうでない話だ。私にとっては初めてだった。


この散策路は2コースがある。5湖を回る大コースと高架木道を歩いて1湖をだけを回る小コース。
大勢の外国人観光客が小コースを散策して写真を写している。これもありなんだなあと眺めた。


今回のメインイベントが無事終わった。ここまでが長い道のりだったがここからも長い。
車中泊での日本一周は、細切れではあちこち行っているが本当に意味で初めてだった。
松山までが遠いなあと地図を眺めた。でもそれはため息ではなく楽しみで眺めていた。
女房はこれをほめ言葉として、「クレイジー」と表現してくれた。




根室・納沙布岬・落石


午後になって、正面の羅臼岳に向かって開通した知床峠を上った。周囲にはまだ雪が残っている。
峠を越えて東の海が見えたとき、もう何もないはずの海の向こうに大きな陸地が見えた。
瞬間なに?と思ったけれど「そうか、択捉島か」とすぐに判った。 こんなに近いんだ。


日本の最東端・納沙布岬に寄ってみた。たくさんの道と空間はあるにの車を置けるようなところがない。
そんな感覚に陥ってどこにも止まらず原野の小さな道端で一晩を過ごした。一晩で車が3台通り過ぎた。


朝、走り出してすぐに右手に択捉島が見えた。そして重なり合うように左手の遠くに知床半島が見えた。
地図上の自分の位置と目の前の景色とを重ね合わせてやっと納得したが、北海道らしい雄大なショットだった。


子供たちが小さかった頃「北の国から」というテレビ番組をよく見た。娘のほたるが勤務した落石の診療所に
使われた農家があるとスマホが言うからこそっと見に行った。案内もない小さな寒村の外れにそれはあった。




襟裳岬・長万部・駒ケ岳



「何もない春です」を体感したくて襟裳岬を通った。それなりに家はあったが、整備された広大な岬には
「何もない」という表現は見事だと感じた。岬から左右の太平洋が見える道が少し続いた。美しかった。



日高を通るとき道脇に牧場がたくさんあった。大きな激しい音をたてて走る馬の群れは迫力があった。
道の駅は旅の定番だが風呂がある道の駅は特に嬉しい。厚真の被災地を通ってみた。やはり切ない。


この日の宿は噴火湾沿い。長万部に適当な道の駅がなかったので車中泊の醍醐味・野宿にした。
歌を友として、暮れてゆくこんな景色を眺めて飲むビールがうまい。一番の幸せの時間だ。


初めて見る北海道の名勝・大沼からの駒ケ岳


初めて旅人として北海道の土を踏んだ。春まだ浅い北の大地は目を覚ましてはいない。人々の暮らしは
本州とは様式は違うが豊かですがすがしい。厳しい自然と向き合うと人間同士の繋がりは密になるのがわかる。




大間・福島


函館・大間のフェリーは1時間半くらい。名残を惜しんでいるうちにさらりと本州に戻った。


震災の慰霊碑のように残る中浜小学校あと。コンクリートで埋め尽くされた三陸海岸。
そして、「期間困難区域」が今も残る双葉町。震災の教訓をどう生かすか、課題は多い。
地震に備えて海をなくするのもおかしいと思うが、この地震国に原発を作る政治も間違っている。




東京アクアライン海ほたる・諏訪湖


東京湾の真ん中に浮かぶ人工島は一度見てみたかった。人間の傲慢さがいっぱい詰まったこの施設は
現代の人間界を表している。風景写真をしてカメラを向けるのは素晴らしいのだからあまり考えないで置こう。


富士山にでも寄って帰ろうと思っていた。ふと、遠回りだけれど安曇野に行きたいとハンドルを右に切った。
新緑の甲州街道がよかった。暗くなる頃、諏訪湖で宿を探した。湖畔に絶好の駐車帯があった。よしここだ。




白樺湖・安曇野


諏訪湖から霧が峰スカイラインを上ると小さな小さな湖・白樺湖に出る。美しい湖だと思う。
途中で蓼科(たてしな)山を背景にした田舎の風景でひと休みだ。こんな時間がうれしいんだ。


国営・安曇野公園。ちょっと人工的だけれど大きくて立派な公園だと感心しながら歩いた。
海ほたるもいいけれど、自然派のキャンパーとしてはこんな施設がたくさん出来たら嬉しい。


北アルプスの片鱗だけ写真に収めて今回は終わりにした。また来たいと思う。いつも事故とは隣りあわせだ。





キャンピングカーに乗って日本一周をしたいという夢がこんな形で現実のものとなった。
キャンカーに乗って7年が過ぎる。たくさんの旅を経験してからの日本一周がよかった。
これで、ずっと持っていた不完全燃焼のような不満足感から解消されることだろう。

ちびてきた愛車を手入れをして、これからもよろしくと頼んでおいた。